L’Impérialisme de la liberté. Un autre regard sur l’Amériqueアルチュール・デフランス氏そもそも、私にとっては、西谷先生のご著書に出会ったことが奇妙な巡り合わせのようにしか思えません。『アメリカ 異形の制度空間』の中の最初の数章の仏訳を手掛けた時、私はまだ奈良時代の和歌文学と漢詩文学を研究している博士課程後期の学生でした。奈良時代の日本に目を奪われており、アメリカ史や西洋史について考えることは、めったになかったと言えましょう。当時の私にとって、「日本より西」といえば、「西洋」ではなく、私の博士論文の参考文献中で随所にあらわれた「中国」(特に唐朝時代の中国帝国)が想起されました。さらに、奈良時代の人たちと同様、西谷先生のご著書の中で大変重要な役割を果たしている大航海時代のポルトガル人に思いを寄せることもほとんどありませんでした。と言いつつも、日本の哲学書をフランス語に訳す提案が来ると、引き受けることにしました。一つ目の理由は、世界中の指導教員がよく分かっていることだと思いますが、博士過程の学生は、重荷のように感じられる博士論文をしばし忘れられる事に取り組みたがるからです。もう一つの理由は、フランスの読者に日本研究でないながら日本人の著者に書かれたエッセーを提供する必然性を痛感していたからです。日本の哲学書は、西洋の諸言語に翻訳される場合は、非常に念入りにつくられた出来のいいものが多いのですが、一般的な傾向として翻訳されることが稀なのが現状です。その結果、日本史や日本哲学以外をテーマに取り上げる日本の研究者・知識人の声は、西洋の言論空間にほとんど届きません。その事情を遺憾に思う理由は、それらの声が日本から来るにもかかわらずというのではなく、まさに日本から来るため、新しい視点や発見をもたらすからです。西谷先生がフランス語版に寄せた序文で指摘するとおり、日本の哲学は明治時代に突入すると転機を迎えます。その哲学は、欧文の哲学専門用語に似た言葉というより、欧文から借用した言葉で概念を表していることが否めません。が、同時に日本ならではの視座に立ち続けながら、物事を論じていると認めるべきでしょう。日本哲学以外にない、一種の距離感と眼差しの鋭さは、まさにそうした位置づけによるといえます。その意味では、日本の概念空間は、西洋の哲学伝統と二重写しになっており、そのため、日本の大学が輩出した西洋哲学の専門家の中で、優れた研究者が多く、また、かれらは、西洋人にとって得難い外部性を保っていると言えます。 日本哲学者の目の鋭さといえば、西谷先生と、出版社のコレクション担当者、シュピオ先生と話し合っている日に実感したことがあります。そのときの話は、「世界」という日本語が、西洋の概念である「monde」とどこまで重なり合うかについてでした。シモンヌ・ヴェイユを愛読なさってきたシュピオ先生にとっては、フランス語の「monde」という言葉は、古典ギリシャ語の「コスモス」に端を発しており、その意味合いを反映しているラテン語の「mundus」(規則的、清潔)を経て、特定の秩序のある世界を意味する言葉です。「世界」というのは、いわば空(から)の空間どころか、人生がその根をおろせるような、意味が盛り込まれている場であるといいます。いうまでもなく、西谷先生は、その意味合いを正確に把握なさっておられます。『アメリカ 異形の制度空間』の中で語られているアメリカ史は、過去の束縛から解き放たれた自由の国の歴史であり、また、あらゆる文化的・象徴的な意味付けをなおざりにしてまで、その自由を拡大しようとする国の歴史でもあります。ただし、世界を意味のあるものとして見ておられる西谷先生は、同時に、「世界」という概念が、「自由」と同じように、明治時代の哲学者や翻訳者が西洋哲学専門用語を翻訳する以前には、存在しなかった、または、別の形をまとっていたものであったことを百も承知でした。ちなみに、明治の人々は、「世界」という言葉を「monde」の訳語にするにあたって、すでに千年以上前の中国と日本に衝撃を与えた仏教からきた用語を用いていました。 私は、そのときのやり取りを聞いて、重要な事がわかりました。現代について研究するとしても、かならず、古代研究の中の、よりなじみ深い知の枢軸が交錯する構図を見出すことになる、ということです。その軸は、西洋、日本、中国、また、インドの哲学伝統です。つまり、懐古的な傾向の強い私にとっても、一種の馴染みがあったわけです。私の願いは、西谷先生のご著書が読者の皆様に同じような刺激を与えることであり、また、同じように、今の日本人が書いている哲学書が翻訳されつづけて、そしてフランスの読者に、現在進行形で書かれている日本哲学の豊富さを僅かながら味わっていただくことにほかなりません。 |
Il est en un sens assez étrange que le livre de NISHITANI Osamu soit entré dans ma vie. Après tout, lorsque je commençai à traduire les premiers chapitres de l’ouvrage, j’étais en doctorat et je menais des recherches sur la littérature japonaise et sino-japonaise de l’époque de Nara (710-794), à mille lieues de me préoccuper de l’Amérique ou de l’histoire de l’Occident. Le seul Occident dont je rencontrais le nom lors de mes recherches était la Chine des Tang. Même les navigateurs portugais, amenés à jouer un certain rôle dans le récit de M. NISHITANI, étaient encore bien loin de s’intéresser à l’archipel. Et j’étais encore loin de m’intéresser à eux. Lorsque la proposition de traduire un ouvrage de philosophie parlant de l’histoire de l’Amérique du japonais au français m’était parvenue, j’avais néanmoins accepté. D’abord parce que, comme les directeurs de recherche le savent bien, les thésards cherchent toujours à s’investir dans mille autres tâches qui leur feraient oublier la lourdeur de leur thèse de doctorat. Ensuite, parce qu’il me semblait qu’il fallait absolument saisir l’occasion de faire lire au public français un essai japonais écrit sur un sujet non-spécifiquement japonais. La philosophie japonaise est peu traduite en Occident (même si quand elle l’est, c’est souvent très bien) et les rares textes qui sont traduits tendent plutôt à traiter de sujets proprement japonais. La conséquence en est que les voix japonaises ne sont jamais entendues sur des questions plus générales d’histoire ou de philosophie, sur lesquelles elles auraient beaucoup à nous dire, non pas en dépit du fait qu’elles soient japonaises, mais aussi parce qu’elles sont japonaises. La philosophie japonaise, comme le note NISHITANI Osamu dans sa préface à l’édition française, prend un tournant à l’époque de Meiji et rejoint la philosophie occidentale. Elle formule ses concepts dans des termes voisins de ceux utilisés en Europe et en Amérique du Nord (termes qui sont d’ailleurs explicitement traduits des langues occidentales), mais elle le fait depuis une position particulière, qui lui garantit certainement une distance et une acuité de regard particulières. Le Japon vit en un sens dans le monde conceptuel façonné par la tradition occidentale, il a pu former de très brillants spécialistes de ce regard, mais il possède aussi une extériorité qui nous est plus difficilement accessible. |