『三つの物語』谷口亜沙子氏1877年に刊行された『三つの物語』は、ギュスターヴ・フローベールの唯一の短編集で、生前の最後の作品です。十九世紀のフランスの田舎を舞台に、無学でまっすぐな召使いの一生を描いた「素朴なひと」。中世の城主の息子として生まれた狩りの名手が、親殺しの罪を経て聖人に身を遂げる数奇な運命をたどった「聖ジュリアン伝」。救世主キリストの到来を告げた洗礼者ヨハネの斬首をめぐる権力と欲望の錯綜を活写した「ヘロディアス」。時代をさかのぼるようにして、近くから遠くへと並べられた短編は、単独でも楽しめる一方で、三つすべてを読み終わった時には、それぞれの時代や舞台やトーンの違いにも関わらず、無数の細部や展開がそこかしこで響き合っていることが感じられます。フローベールの代表作である『ボヴァリー夫人』や『感情教育』に比べると、『三つの物語』は小品とも見えますが、それだけにとっかかりやすく、フローベールの小説技法がコンパクトに凝縮された作品とも言えます。フローベールの面白さ、あるいは単に、小説というものの面白さを知るために最適な一作であり、手に取りやすい日本語の版があればという思いから、今回の新訳に取り組みました。 翻訳を進めるうえで何よりも苦労したのは、わかりやすい新訳を届けたいという思いと、稀代の文体家フローベールの凛とした言葉の流れを再現したいという思いを両立させることでした。読者が集中を切らさずに物語に没頭するためには、平明で「読みやすい」日本語にするだけでは十分ではなく、物語の世界観を壊してしまいかねない語彙を排除しながら、使用する表現の水準をそろえておくことが必要でした。つねに二律背反に置かれた状態で、この調整をする作業が一番苦しく、同時にとても楽しかったような気がします。 |
Trois contes
Paru en 1877, Trois contes est l’unique recueil de nouvelles de Gustave Flaubert et la dernière œuvre achevée de son vivant. Le premier conte, « Un Cœur simple », raconte la vie d’une servante illettrée et toute naïve dans la province française du dix-neuvième siècle ; le deuxième, « La Légende de saint Julien l’Hospitalier », retrace le sort étrange du fils d’un châtelain du Moyen Âge, chasseur prodigieux qui devient un saint après avoir commis un parricide ; enfin, « Hérodias » dépeint l’imbroglio de désirs et de pouvoirs qui aboutit à la décapitation de Saint Jean-Baptiste, annonciateur de l’avènement du Messie. Ces trois contes, qui remontent de plus en plus loin le cours du temps, se lisent tout à fait isolément, mais quand on referme à la fin le volume, on entend résonner des échos ou des murmures lointains entre de multiples détails et entre les intrigues de chacun d’eux, par-delà les différences d’époque, de lieu et de ton. |